コミケについて語るときの注意点

ネットでのコミケについての記述は、実際のコミケとずれている。もちろんどんな記述にも対象とのズレがあるけれど、たとえば新潟って雪がすごいんでしょうと聞かれたときに、いや新潟市はそんなに振らないです、などとは答えず、ええ、二階から出入りするんです、なんてことをその場限りのサービス精神から言ってしまう、その大規模なもののような感じがする。全員が適当に相手を混乱させるようなことを語っている。誰も全体を体験することも把握することも記述することも出来ない対象なので、個人が面白いと思うところを書き、それが互いに矛盾するほど多種多様で、面白い。
群盲象を撫でるような話で、ある人は著作権的にグレーなところを強調し、参加者全員を虞犯者扱いする。わざわざ象の肛門に手を突っ込み、こんなに汚く臭いと大騒ぎする。
ある人は18禁作品の多さを強調する。象の性器のデカさにびびっている。
ある人は経済規模を測る。壁サークルだけみて象は壁のようなものだという。
ある人はここに最先端の表現があると牙に触る。これは世界に通用する武器になると。
0〜10部しか売れないサークルだけを見て回ったなら、小さな趣味の自己満足の集まりだと思うだろう。尻尾を触って紐だというタイプ。
ネットでコミケの話を読むと、本当に私の知っているコミケのことだろうかと不思議な気持ちになる。
ただ個人的にはそんなにひどくないと言いたい。年々参加者がクールで自己中心的になっているかのような記述が特にまとめサイトなどで目立つけど、そうでもない。まだ参加者には(仲間意識)のようなものがある。と思う。コミケで〇〇厨がだれかに迷惑をかけたと言われたら、〇〇と関係なくてもすみませんと言ってしまう。関係なくはないから。
一昨日秋葉で飲んでいて、トイレで隣り合った人が明日コミケ行くんですかと聞いてきた。面白かった。会話を聞いて判断したんだろうか。
私は飲むとだいたいこのブログに書いているようなことを話す。だれもこのブログを読んでいなかったので一回書いたことも話した。