おじゃる丸を嫌いな人がいて、泥棒を肯定する子供向けアニメを公共放送で週三回も何十年も流してキチガイじゃねえかっていっててそういうものの見方はなかったので考えさせられた。
おじゃるの笏は閻魔大王のものでそれは死者の行先を天国か地獄か決める役割を持っている。善悪の判断を笏がやっている。笏がないために待機中の死者たちが溜まっている話もあった。
そう考えると笏を盗むというのはメタ的な意味を持っているのかもしれない。つまり善悪や人の人生の評価は閻魔がやるものであって道具に頼るべきじゃない、と言いたいのかもしれないし、魂の現世への回転効率など高くなくてもいいという壮大な話なのかもしれない。
ものを盗むのは悪いことだが笏を盗むという行為は善悪を超えている。
ある特定の行為が悪いか良いか、人一人の人生が天国もしくは地獄に値するかという判断は重い。それは機械化し、道具化してブラックボックスになることもある。
一人しか殺してないから死刑にはならないと機械的に判断していた人がいて死刑になってたけど、常に例外もあるし自動的に考えないでやってはいけない。
外国は死刑が廃止されているからやめようっていうのもいわれたからそうするんじゃなくいちいち自分たちで考えなくちゃいけない。
そういった仕事が嫌になって笏は意志を持って逃げ出しておじゃるのところに来たのでおじゃるが泥棒の単独犯というよりは共犯というか罪もないんじゃないか。もちろん閻魔側はそれを取り戻さなければいけないし彼らにとっては悪だろうが、そういった重いことをアニメを見てる間くらいは考えなくていいんじゃないかとも思う。
おじゃる丸を見て育った子供はどんなメッセージを受け取ったんだろう。ちょっと気になる。