映画を見ない理由

国家民営化論は昔読んだんだけど色々思うところがあったし今となってはますます疑問に思うところが多い。あれは市場や契約を過度に信頼している。買い占めや売り惜しみを市場原理はどう解決するのか。もっと供給する?単にロスになるだけかもしれないし転売屋のもつバッファは市場の不安定化にしか寄与しない。契約を破って裁判になってそれでも裁判所命令に逆らう個人や法人をどうするんだろう。罰金を取ったり民営化された刑務所に入れるにしてもそれはだれも得しない。今後誰かが真似しないように、割に合わないと思わせるようにしたところでそれは割に合うと思ったところで犯罪の値段が安定する。割に合うと思う人が出る。それは真面目に働く動機を損なわせる。刑務所に入りたくて犯罪を犯す人が今でもたまにいる。現行の教育刑応報刑という理念はいわば採算を度外視している。どんな国家にも最終的な暴力装置がある。たいていそれは理屈を超えている。すべて明文化された契約の中で人が生きていくのはどうもおかしい気がする。そこにはたぶん不可視の、意識されない前提がある。この共同体が今後も続き、そこに属しているという感覚。それがなければ自分さえ良ければいいし今さえ良ければいい。そういう感覚がない人もいる。

移動の自由や旅行の自由がないのは囚人と同じだ。私は見たい映画があっても隣に人がいるのは不快だからと言う理由で見なかったりするのでいいんだけど他者と関わることに価値を置く人は辛いだろう。