禁忌と読み

ダンジョン飯を冥府下りとして捉えるというのは前にもあった。そうするとライオスとファリンはキョウダイであり夫婦でもあるという神話でよくあるタイプの結びつきなのかもしれない。生き返らせることに成功した神話はないのだけど。

もっと様々な読解があるのだけれどはてブ民はバズった解釈にとらわれがちだ。マルシルとファリンのカプリングも同性であるという以前に異種であるということをなぜか忘れられがちだ。ハーフエルフであるマルシルは子をなせない。しかしそれが何だって言うんだという生き方への肯定だし同種族異性愛婚姻生殖(でなければならない)というドグマを破る様々な愛の(愛以前の)形が描かれていた。それは魔物を食べてはいけないという禁忌を犯した生への執着から同じく生に縛られたシスルの最期に与えられる彼の人生への肯定にも見える。

おそらく今後緩やかに魔力が失われ合理化し近代化するなかで食べ食べられ生きて死ぬ彼らの話はあの解釈だけが正しいとも限らない。

本末転倒

久しぶりにそばを食べた。タレの付いていない納豆を買ってそれのためにめんつゆを買って、ちまちまめんつゆを使っていて、別にめんつゆじゃなくても醤油でもいいんじゃないかと思い、めんつゆ本来の用途で使おうとそばを買ってきて茹でた。刻みネギも買った。本末転倒の面倒くさいバージョンだ。でもまあそういったしょうもないことへのこだわりをすべて失うと食事は完全食でいいみたいなことになる。

三束買って三回目でようやくいい感じの作り方を思い出した。

ないかもしんない

変体少女仮名についてすごくダサいという感覚を持つ人がいて意外だった。別に今でも書きたければ書けばいい位の感覚だった。当時かっこいいと思ったものが時間を経てその熱量を逆転してダサいと思われることはある。

いまかっこいいと思われているものも後にそうじゃなくなるかもしれない。

普遍的なかっこよさというのはあるんだろうか。ないかもしんない。80年代のレオタードを着てエクササイズしているMVなんか見ているとダサいとかどうとか関係ない気もしてくる。

いまむかし

ユーチューバーに対してどうとも思っていなかったんだけど、単にタレントや俳優というよりも何万登録者がいる、と言われたほうがわかりやすいのかもしれない。そもそもテレビを見ていないのではっきり数字を言うほうがいいのかもしれない。

昔も芸能人が有名になるためになんかしらスキャンダルを起こすことはあった。今もネットでそういうのがあってきつい。

解像度低お

オタクに優しいギャルの漫画がものすごく多い。今やオタクに冷たいギャルのほうが珍しいかもしれない。実際とは違って。

そもそも対になる概念ではない。ほぼ無関係だ。

そしてギャルの解像度が低い。仕方ないけど。少女漫画に出る不良や暴力団のようなものかもしれない。