ザワさんとその他

注意深い読者はもっと早く気づいていたんだろうが、ザワさんの心の声は書かない、というルールがあるらしいことに私が気づいたのはかなり遅く、卒業アルバムを武田先輩に見せる回だった。話の最後で「何がしてえんだよ」と男子三人が思い、その思ってる皆の吹き出しにザワさんだけ吹き出し口がつながってない、異常なシーン。ザワさんも他と同じように並び、同じ扱いを受け、ブスばっかじゃないか、男子ばっかじゃないか、女子ばっかじゃないか、と理不尽なダメだしを受ける。おそらく彼女も同じように思ったと読者は普通に読めば思うんだが、そこでは三人と感想を共有していない事実もさりげなく描かれているので、ひょっとしたらザワさんだけなにか別のことを考えているのかも知れない、とも読むことも出来る。もやあっという心の擬音も背景にありながらザワさんだけ書かれない。ザワさんにだけ謎がある。ザワさんだけは内面が判らない。
身体測定の回では初めて「ザワさんは体幹が〜落ちたことを気にしているようだ」と作者によって語られる。なんと控えめな内的独白だろう。体幹が落ちていることを気にしている事を描きたいだけならば思っていることを示す吹き出しを描き、「体幹落ちたなあ」と書いてもいい。少し不自然だが独り言を言ったことにしてもいい。「気にしている」と断言してもいい。なのに断言さえしない。
士郎正宗の漫画で、饒舌な欄外の設定の語尾に「〜ということにしておこう」と書かれていて笑ったことがある。しておこうもなにもお前のさじ加減一つだろうに、と。
気にしているようだという記述はこの漫画のギリギリのラインだと思った。
ザワさんという漫画はよくフェチと評されるが、語の元の意味からは誤用なので普通に萌え系などといったほうがいいと思う。それとも彼女に本当に内面が無いかのように、モノとしてのザワさんが好きな人がいるんだろうか。一巻の最後の髪を切ったザワさんはfactry43っぽかったんでちょっとそんなことも思った。
連載が始まったばかりの頃は、いつ話が、本編が始まるんだろうなんて思いながら読んでいた。いつか始まる女の子の野球部員のストーリーの、予告編なんじゃないかとぼんやり思っていて、これはこういう漫画なんだとようやく判ったのはおしゃれ坊主の回だった。遅い。熱い高校野球漫画と同じ雑誌に載っているので、ついどこかに感情移入しようと探していた。
他者からの一人称描写を多元的に重ね、陰画として浮かび上がる真の主人公のザワさん。彼女にフォーカスされる視点は、視点があると言うことコミで示される。彼女を便所呼ばわりする女、手を思わず握る原田知世ファンのおっさん(痴漢)、など。普通なら無関係に通り過ぎるだけの視点たちもかりそめの主人公を勤め、彼女に恋していく。
フェチすぎる野球漫画というキャッチーすぎるコピーを一度忘れ、初めて読むようにザワさんを読んでみると、どこにカテゴライズすべきか考えさせられる。
というよりカテゴリー以前の手探りの状態が私は好きなんだと思う。昔家人に村上春樹のある短編小説のオチが分からないと言われ、考えて、こんな風に答えた。
海底火山が不安の隠喩なんじゃないかな。
言わせんなよ恥ずかしい。そう言ってしまったが最後自分でもそんなふうにしか読めなくなってしまう。何かが何かの象徴で、暗喩で、と言った解釈は強力で、そこにたどり着くまでの不安そのものや、それによってこぼれる訳のわからなさは、取り返し難い。
隠喩が読めない人がいるし、陰謀論みたいなもので穿った見方しか出来ない人もいるが、なるべくちゃんと読みたい。

という文章を書いた直後にザワさんの心の声を書く回が掲載されて驚いた。

だが、もっと驚くことに単行本ではその回は卒業アルバムの回の一つ前にあった。
ええと、つまり人の記憶は当てにならないものだ。