広告

広告を批評するときに、例えばよい広告を評価し悪い広告の悪いところを批判することは広告を結果として強化することになる。より物が売れることだけがよい広告なのだとしたら、だますことが良いことになるかもしれない。
反広告と言って想定するのはそうじゃなく、広告自体が悪である、というような素朴さをも批判することだ。なので彼らへの失望が大きいのかもしれない。
口コミで、広告しないで売れました風の美談さえも広告とみなすと、消費が悪だという基地外じみた潔癖さや、無批判に、よしあしを判別することなく必要な物を買う生活につながるかもしれない。
ステマの話題でそんなことを思った。ティラミスやナタデココステマだったのか。メディアが推しているときには本当にすでに人気があったんだろうか。
人気、実需があってメディアが乗っかってくることにはそれほど嫌悪感がないんだが、恵方巻や体にやさしい〜とかが嫌なのはなんだろう。
基本世の中のメディアは所帯持ち向けに作られていて子供のためのイベントごとや趣味嗜好にチューンされていて、いい歳して漫画やドラマの配役に執着するのは馬鹿らしいと思われている。
急にまだ実在しないブームを盛り上げるやり方が嫌になったとか広告へのリテラシーが上がったというよりは、みんながステマという言葉を覚えだけだったり、私はもうこの世から必要とされていないだけなのかもしれない。