京アニのこと

京都にいた頃はたぶん京アニを知らなかった。グロス請けで話題になるのは作画が特徴的な会社であって、ちゃんとしていると認識もされないものだ。あとからさかのぼってやっていた仕事をいろいろ知った。

最初に会社名を意識して感心したのはふもっふだった。あの前転もそうだし、レイアウトのかっこよさが良かった。あの温泉回でレイアウトを工夫して局部を隠していたやり方が好きだったので、それ以降作品のスカートが重力に逆らって張り付いてパンチラを防ぐ方針になったのはちょっと残念だった。

一番衝撃的だったのはハルヒの文化祭で、TVシリーズのアニメでちゃんと文化祭を描くという史上はじめてのことをやっていた。当時まだ作画カロリーと言う言葉はなかったかも知れないけど、原画の人が大勢クレジットされたエンディング画面で人海戦術の凄さを知った。

そのあと残業がないという話でまた感心したんだけど事件後にいつも遅くまで電気がついていたという近所の人の話であれってなった。どっちなんだろう。

それからは自分向けじゃないものもあったけどいろいろ見てきた。らきすたけいおん、ユーフォ、無彩限のファントムワールド、氷菓。特に理由なく見ないものもあった。いつか見たい。自分向けじゃないものはそれはそれで大事だし頑張ってというかんじだった。

 10年くらい前に絶望先生のイベントでロフトに行ったとき、作中に京アニさんと仲良くしたいっていうのが出るのはどういう意味か聞かれて、副監督はそのまんまの意味だと言っていた。個人的にファンで、仲良くしたいけど、仕事でもとくに関わりがない、と言っていた。

わりと対称的な作風だとおもう。ああいう、モブにも一人づつ名前と設定を作るくらいの真面目な優等生と、そんなの記号でいいんだなんなら文字でもいいみたいな会社。というか他のすべての会社があそこまで徹底はしない。

文化祭なんて大勢いる絵を止めセル一枚でゆっくりパンすればいい。というのはそれまでのアニメの常識だった。だからハルヒには驚いた。劇場やovaみたいだと。その後文化祭での作画カロリー競争とかキャベツの作画だけは丁寧とか京アニがほかのアニメにもたらした良い影響はあった。キャベツは違うか。

ちゃんとしてるというのは愚直というか無駄というか、そう見られるリスクも有り、それを選ぶのは大変だ。そういうやって当たり前なことをちゃんとしてるところがすごいし、それがすごいとおもわれる日本のアニメが貧しいのかもしれないけど。

ジブリアニメがヤギの上の歯を描いたことをジブリともあろうものが、と怒っている人がいたけど、京アニに感じる少しの不満は京アニともあろうものが、式の上がってしまった水準のせいであって、あそこまでやっている人たちにはもうなにもない。

京アニについていろいろ読んで自分でも書きたくなって書いた。被害者と関係者の早い回復を祈っている。