割とトンデモ判決が出て話題だった。こういうものの危ういところは地裁判決に過ぎないことをみんな忘れがちで、地裁は変なのがいがちなところだ。判事ガチャをやったのかもしれない。
思えば昔は何度も判事ガチャをして気の狂った極左を引き当てて人権側に有利な判決を出して新聞が大々的に一面で報じるみたいなことがあった。いまはからくりがバレたので即座にツッコミが入る。昔と比べるといい時代なのかもしれない。
掲示板で自身の生き辛さを主題にした漫画を書いている漫画家のスレが立って、こいつは死んでないから本物じゃない、というレスがあった。
確かに自殺してしまった漫画家はいて似たような漫画を描いてはいるけど、その基準で人や作品を判断するのはおかしい。あらゆる自殺したいというメッセージは生きていれば偽物で死んだら本物になる。ここには逆生存者バイアスというべきものがある。
たしかに本当につらい人は漫画さえ描けないというのはそうだけど、ゼロか1かじゃなくそこには実際の苦悩や苦痛がある。もし完全にウソで生きづらい詐欺で金を稼いでいるような人がいたならそれはそれで病んでいる。詐病で障害者手帳を取るくらい難しいだろう。
あと女だと言う理由で容姿をいじるのはよくない。
虫が好きな人は蜘蛛が嫌いというのを何回か聞いたことがある。有名なコレクターが蜘蛛が嫌いだったというエピソードのついでにその人の意見として言ってたけどどれくらい一般的なのかわからない。
そもそも普通の人は蜘蛛は虫じゃないとはっきり意識しているだろうか。厳密にはそうだけど虫みたいなものじゃないかと一緒くたにしてもそこまでおかしくないんじゃないか。
クジラやイルカを魚扱いすると馬鹿にされるけど蜘蛛を虫と誤認していても種類なんてどうでもいいと言われそうだ。今ウィキペを調べたらわりと大きなくくりでは虫扱いしてもいいように感じる。
一般にはどうかがたまにわからない。あまり支障はないが。
昔品川で働いていた頃目白駅から椎名町まで歩いて帰っていた。夜8時ころ、目白通りの裏にある車の通らない裏道で、赤ちゃんの鳴き声を聞いた。そこは住宅街で、大きいお屋敷が多い。どこかに赤ちゃんのいる家があるんだろうなと思っていた。そしてしばらく歩いても赤ちゃんの声が聞こえる。まだ、もしくはまた泣いてるのかと思って歩き続けた。しかしその後も聞こえるので不思議に思った。どこかで別の赤ちゃんが泣いているのか。複数赤ちゃんがいた場合赤ちゃん三人分くらいは歩いたはずじゃないか、と思って立ち止まったら、だんだん赤ちゃんの鳴き声が大きくなった。街灯の明かりの下恐る恐る振り返ると、泣いている赤ちゃんを乗せた乳母車を押した女性がゆっくり追い越していった。