お前が俺か

「お前が俺か」
という変な文章がちょっと話題になっていた。この場合の俺は語り手の名前を匿名のまま指示している。一人称を代入可能な変数のように使っている。ネットスラングではあるが、プログラマーの発想なのかもしれない。
このように私という言葉に指示対象を自由に入れられる以上、私は何故存在するのかといった類の独我論は無意味になる。
独我論は大抵の場合私の使う私という言葉だけは特別扱いしてくれと言っているようなものだ。
二人称の小説が苦手なのと同様、言葉に無頓着なのも苦手だ。
この場合は一人称としての俺と変数の俺が併存するのが気持ち悪い。
あんまりこういう文章を読まないのでそんなに問題はないんだけど、これが将来主流になったりしたら嫌だ。その頃には死んでいるだろうか。