趣味せん

映画の損切りの話で、アマゾン何かのサブスクの映画がつまらなければ切れるのになぜ映画ではできないかという補助線が出ていた。まあネットならつまらないと思った瞬間に次の面白そうなものに行けるけど映画はそうはいかない。

サンクコストにしがみついているというけどお金を払って面白くなかった時点でどっちでももう負けている。つまらないと言って途中で出ても半額戻るわけでもつまらないものを見させられたという経験がなくなるわけでもない。自分の失敗と向き合うのは半ば義務だ。

つまらないものを見たと話す事ができるとか、稀に後半面白くなるとかそういうこともあるかもしれない。でも本質的にはそうじゃない。

面白さと価格に等価交換を求めるのはおかしい。落語で、落語がどういうものか説明を受けたうえで、金払って笑いに行くのかい。バカバカしい。家でかかあに足の裏でもくすぐってもらったほうがマシだ、という登場人物がいる。

はてブで月五万もかければサブカルに詳しくなれるのに弱者男子は何故オタク趣味でサブカルをやんないのかみたいなことが言われていた。趣味はそのような効用のためにやるもんじゃない。サブカル好きが全員そんな考えなら好きになる要素はますますない。

好きじゃないものを趣味にするときそこには隠れた動機がある。つまりモテたいとか他の趣味の人を馬鹿にしたいとか。そのような不純な動機はふさわしくない。