悲しい

震災を扱った作品を見た。人の悲しみを利用することについてある哲学者が言っていたことを思い出した。
それとは関係ないけど一時期哲学者を自称していたこともある人はなぜ善く生きようとか正しいことをしようとか思わないで、内輪に向けて本を宣伝し、他者との対話を避けているのだろう。尊敬されるチャンスはなんどもあったのに。
十数年前にテレビで見た三宮の駅前の震災見物来るなと書かれた貼り紙を思い出した。あの時にも人の悲しみを利用する人が多かった。
悲しさや怒りについて考えるとき、悲しさや怒りから少し離れられる。