無謬性

mogragのカオスラウンジ展を見てきた。相変わらず凡庸な何の魅力も個性もないものにしか見えなかった。もちろん芸術がわかる人には違って見えるのだろう。普通にビレッジバンガードあたりでしゃらくさいサブカル層に売れそうなイラスト群。
行くたびに毎回思うのだが、あそこにいる人はネットであの基地外じみた主張をしているカルト集団には見えず、ごく普通の画廊の人にしか見えない。
早く統一見解を出してほしい。国分寺くんだりまで見に来なくて済むように。
帰り道では警官を多く見た。オウムの高橋容疑者を追っているようだ。オウムも問題が出る前は一切間違えなかった。なぜ農薬を自分たちで作る必要があるのか、一度にたくさん虫を殺すほうが一匹ずつ殺すよりいいと、どの仏教の経典に書かれているのか聞かれた彼らは、私達の教義では、私たちの解釈では、と自分たちの論理を展開した。すべての問いに答えが、もっともらしい答えがあった。
藤田直哉の批判は妥当だと私は思う。だけどだめだ。現代アートは間違えることさえできない。常に正しい。絶対的に正しい。何をやっても仲間内から褒められる。彼らの教義があり、解釈があり、「悪い場所」教がある。
間違えたアーティストを見たことがない。自らの過ちを認めた人も。新加勢大周でさえ失敗とは呼ばれない。撤退じゃなく転進。
東浩紀に関わった人たちが最近パクリなどで炎上している。アージュ東山翔、そしてカオスラウンジ。それを持って疫病神扱いしている向きもあるが、逆だと思う。
過ちを改めることができない、パクってもいい、という考えがもともとある人間が彼の周りに集まり、すりよっていたんじゃないだろうか。そしてそれは彼の思想にそう読み取れる部分がもともとあったからじゃないだろうか。
あの何もかもうやむやにする価値相対主義が。
今日、梅ラボはインタビューを消した。

追記 すみません梅ラボが消したんじゃなかったことがわかりました。訂正します。