氷菓、クドリャフカの順番、12〜17話の感想ややネタバレあり

クドリャフカの順番が終わったのでいくつか書く。
○歪む世界


上が望遠で下が広角レンズで撮られている、ように描かれている。顔も歪んで髪と顔の比率が変わっている。これは両方15話で二枚目は千反田が折木を見た広角ショットがあった後の切り返しの広角ショットだ。彼女は折木を見上げている。彼女にとって折木は中心で、逆もまたそうだ。
彼女に見上げられると彼女を中心にせざるを得なくなってしまう。客観から主観へ。
この後で伊原に気になりますって言われても断ればいいじゃない、といわれ、それができれば苦労しないと答える。ここから、というか前からそうだったけど、優先順位が変わってきている。
だが今回は彼女が気になることより本を売らねばならない。そのために利用できそうなら事件も利用する。そのために事件の真相を探る。一回りしている。
○内部と外部、特別と一般
12話で折木は中庭のアカペラ部を見下ろし、事件の発端を見る。中庭は内部化された外部、外部化された内部でもあり、そのあいまいな境界だ。
外部観測によって対象に影響を与えず事件を解決する安楽椅子探偵と違い、彼は事件に関与し、内部観測し、介入する。特別棟四階という喧騒から遠く離れたところから、謎の中心に迫っていく。

原作ではH型だった校舎は連絡通路の下に謎の建物がある。連絡通路は原作でも印象的に使われている。特別棟と一般棟を結ぶ連絡通路のさらに屋上。それは特別な存在にあこがれ、嫉妬し、期待する人たちの通る道であり、すれ違う場所として象徴的に使われている。
この連絡通路を映すショットは何度も出てくるのだが、イマジナリーラインを越えることはほぼない。右側、上手側が特別棟で、逆が一般棟だ。
秋分、折り返し、十字
十文字さんがやっている占い研のテントの場所は、一見十字路に見える。連絡通路の下のぶっ違いになった謎の建物との交差点だと最初見たときは勘違いしていた。しかし原作通り階段の上がり口部分だった。最後に一回だけ階段が映る。
水晶玉に歩いている千反田が反転して映りこむ作画が面白い。彼女は眼鏡をかけ片目を見せないデザインになっている。タロットの運命の輪を取られたことに興味を示す愚者に喩えられた千反田は好奇心でいっぱいだ。
○物語る目、機能する目
彼女たちの目は王蟲のように感情に応じて変化するが、伊原が漫研で水をかけられたときには俯き帽子に隠れて見えない。どんな目をしているのか。どんな気持ちなのか。描かれないがゆえに私たちは想像する。河内先輩は一部で人気だったけどここではモブの目をしている。後ろにいる客のほうが目がでかい。ストイックだ。
○真空、不在
クドリャフカの順番はどんな話なのか。夕べには骸には。存在しない書物の書評集という形式の作品集があったがこれも描かれない、存在しない作品内作品をめぐる物語だ。
若い時に見る同人誌の強烈さはその後を狂わせる。商業出版に向かないニッチさ、過激さ、過剰さ。二次創作の場合には作品世界を共有し物語られる心地よい可能世界。そういえば最終エピソードの最速放映日はコミケ最終日だった。
○感想
あまりアニメを見なくなったんだけどこのエピソードは面白くて何回か見た。最初はいろいろ間違っていた。なるほどこの人が灰色の一般棟に消えていくのか、寓意に満ちている、と間違いを元に解釈したり。
時期が同じだったので日本人のスポーツでの活躍を期待する、というのは神に祈る、に近い行為だな、なんてことを思ったりした。
レンズを使いわけた緻密なこともやっている一方で谷君と福部のシーンでは手前より向こう側にいる人間の顔のほうがでかい遠近法を無視した絵を一瞬入れたりする。そのキャプ画を見たときには80年代のギャグ漫画を思い出した。
河内先輩はよかった。アニスパを聞いていたころに見た忘却の旋律では出てくる浅野真澄がやってるキャラがますみんにしか聞こえず困ったが、今はもう聞かなくなって何年も経つのでちゃんとキャラの声に聞こえた。
原作では容疑者と会話して、論理を積み重ねて最後に名前を出していたが、アニメでは最初に名前を出していた。同様に顔を映さない会話シーンをやっても声優ですぐわかるからだと思う。あと原作を読んでいなくてこのシーンが回想だと気付く人が少なかった。なので実況では会話が進んでようやく、あ、これ回想なのか、という人が多かった。テロップを入れるのも無粋だけど、どうだろう。見ていると回想の導入部で回想だと気付けるんだけど、かなり不親切だ。あれは未読者で気付けた人はいたんだろうか。あんまり謎解きとは関係ないけど。