けものフレンズとケモナーと行動主義心理学と擬人観

けものフレンズが面白い。いろいろスレを見て色々考えた。
一話の案内を入れたアクリルケースをサーバルが開けられないところでぞっとしたという意見があって考えさせられた。
けものの身体に人の心というものと、人の体にけものの心という二種類のけもの好き向けの作品がある。けものフレンズアニメ版は後者だ。それがどれくらい珍しいのか新しいのかは判らない。
けものフレンズのソシャゲはケモナー向けと紹介したブログが炎上したことでやや有名になったことがあった。ケモ耳付けただけで何がケモナー向けだケモナーなめんなと、本来取り込めるはずだった客層に部外者の余計な一言で誤解されてしまっていた。
私の行った大学の文学部には心理学科があって、主に動物を飼って研究していた。人の心を知るために動物の心を研究する、その心を研究するために一旦心をブラックボックスに入れ、行動だけを擬人観を排して観察し、理論を組み立てたり実験する。
その概論を聞いた時いつになったら人の心の謎がわかるんだろうと途方に暮れた。50年か100年か、私が生きているうちにはたぶん無理だろう。それは正しいんだろうけど、どうなんだろう、と。
ジャパリパークはけものの心を保存するところなのかもしれない。そして、体も人ではないんじゃないかと。人間離れした行動で思う。とてもすぐれたデザインで元のけものの特徴を示している。単にケモミミ付けただけではない。
けものの心とはいっても擬人化されたものだ。こう思っているだろうなと人が解釈したものにすぎない。
動物のビデオに動物が思っているであろうセリフをナレーションで付けたもの
が苦手で、そのような擬人化は無い方がいいと個人的には思っている。
アンスロポモルフィズムanthropomorphismは擬人観とも神人同形説とも訳される。神や動物を解釈するのに人は人になぞらえずにはいられなかった。
動物を正しく見るというのは、あるものを食用の家畜として、別のものを害獣として、守るべき希少種として、など人間の立場からそれぞれに応じ正しい見方がある。それが食い違うこともある。クジラとか実験動物とか。
あの世界で体というハードに心というソフトが乗っているのではなく、ジャパリパークというゲームのキャラクターをアカウントをもった人や何かが操作しているのかもしれない。
よくわかんないけどアルパカさんが良かった。