サマーウォーズとネット

時をかける少女の舞台挨拶で初めて細田監督を見たときになんだか違和感を感じた。デジモンアドベンチャーぼくらのウォーゲームやどれみでファンだったとはいえ当時は恒常的なネット環境がなかったのでどんな人か見たことがなかった。もちろん仲里依紗は可愛かった。
サマーウォーズを今頃見た。さんざんネットでネタバレを見たあとで見たんだけどそれでも面白かった。
インターネットは現実社会の写像と言うときに人は何をイメージしているのか。たぶん逆写像が可能とまではいかなくても、このOZのようにわかりやすいものなんじゃなかろうか。実存とアバターがおそらく一対一で対応し、副アカがない。
夏希先輩との色っぽいシーンになると主人公はまるでアバターのようなアニメっぽい反応をする。ピンクになったり鼻血を出したり。
ひょっとしてもう一段あるんじゃないか。つまりサマーウォーズというゲームをやっている現実世界が上位にあって、大家族うぜーとか言いながらペットボトルに小便して、東大卒とか数学の天才とかネトゲネトゲのチャンピオンとかのかっこいい属性をキャラにつけて、自分たちのクラン以外は書き割りみたいな中で遊んでいる。
それくらいご都合主義ではあるが、映画ってそういうものだ。
映画ウォーゲーム(1983)は結局核戦争には勝者はいないことにコンピューターが気づいて終わる。冷戦下の核抑止の常識を世界に広め、アポカリプスへの想像力の下地をつくった。
ぼくらのウォーゲーム(2000)はウォーゲームを元ネタに当時の島根のインターネット環境を見れる映画。いろいろサマーウォーズとかぶっている。
ぼくらのウォーゲームでもそうだったんだけどどうもインターフェイス周りが不可解だ。なぜ格闘ゲームなのにキーボードで対戦するんだろう。カズマの師匠はウメハラっぽい人のほうが良かったかもしれない。
現実社会での大混乱で数日前に見ていた86円スレを思い出した。深夜突然リーマンショック以上に円高が進み、強制ロスカットされたとしあきたちが嘆いていた。
円と金地金が急激に上がっていて、もともとはアメリカの株式で暴落があったから比較的ましな円に流れているらしかった。
そして、そのきっかけはbとm、ビリオンとミリオンを間違えた誤発注だとスレの後半で分かる。そのため60%以上の値動きのあった株取引をなかった事にすると法外なことを言いだした。でも為替はそのまま。それも数日後に誤発注はなかったと発表された。もうなにがなんだか。翌朝予想通りに、予言通りに、東京駅で自殺者が出て電車が遅れた。
現実とネットは思った以上にでたらめに結びついてもいて、はっきりと無関係でもあって、写像ではあってもそう呼ぶことに意味がないんじゃないだろうか。現実をはっきり見通すことが難しいのと同様に不透明なものじゃないだろうか。ついうっかり核戦争が始まる可能性はまだある。
数日たって違和感の原因がわかった。細田守という名前だけしか知らなかったので、漠然と細い人を思い浮かべていて、実際には体格が良かったからなにか騙されたような気持ちだったのだ。
細という文字は細さに対応するとは限らない。