理屈と屁理屈

ある雑誌に2009年のアニメ映画10本を紹介する企画があって、なぜかヱヴァ破が載っていなかった。売上や話題でそれ以上のものが10本あったという評価なんだろう。ヱヴァ破が日本とも経済ともエンタテイメントとも関係ないという判断なんだろう。
とあるスレでそんな話をしていて、あるとしあきが説明をした。
この雑誌はいろんな広告や提灯記事載せてるから広告会社通さないで配給するこの映画が載らないのは当然だろう、と。
もし載っていたらどう言うんだろう。日経はテレビ東京の株主だし載せるに決まってるじゃないか、と言うんじゃないだろうか。この新しいビジネスモデルは載せる価値があるに決まっている、とかなんとか。
どっちでもどうとでも言えるような理屈だ。掲載されていなかった宗教のアニメ映画が載っていてもやっぱりもっともらしい理屈をつけるだろう。
実は編集の上の意向なんて別になくライターの趣味なのかもしれない。そんな風に考えるときりがない。
そんなことがあってから書いてあることの裏とか真の意図とか考えるのが面倒くさくなった。判断しない情報を一旦スタックするようになった。
アニメを紹介した人の党派性とか立ち位置とか興味がないし、出版社の経営も気にしなければならないなんてまっぴらだ。
最初のエヴァの映画があったころでもエヴァ抜きのアニメ史を語っていた人が何人かいた。あの年にもののけ姫が仮になくても平気でエヴァをなかった事にして90年代や20世紀を概観した文章を書いただろう。これがライターの能力なんだなあと感心した。
というかそこまで感情的な反発を引き起こしていたのかもしれない。なんて考えるときりがないからやめよう。