すごい敬語

あるスポーツ選手が政界に進出するらしいんだけど、彼女のことで強烈に覚えているのが自分に対する敬語だ。偉業を達成とか自分で書いていた。
このころ、自分たちの殺された子供を天使と呼んで誰も突っ込まなかったり、マンションの宣伝で住まうとか言ってたりして、自分敬語の時代が来たんだな、と感じた。自分を愛して、誇りに思って何が悪いという価値の転換。自伝を書いた新聞記者も自分敬語で有名になっていた。編集という過程を経てなおそのような表現が出版される事実に驚愕した。出版社に自浄作用もないのだ。自分より偉い人の文章を直せない。接待出版。
なんというか、上の注意する人がいなくなったんだと思う。大昔にはビートルズは乞◯だと縁もゆかりもないのに無根拠に抑圧する政治評論家がいたりしたけど、彼も数年前に死んだ。サブカルを無視し続けた文芸評論家も死んだ。お笑いも師弟関係から学校化され、理不尽さが減ったように思う。
相撲取りの品格もいろいろ取り沙汰されたが、そういうものは尊敬出来る人物の薫陶を受けると言う形でしか絶対に伝達出来ない。彼より強く、優しい人がいて初めて可能だったのに、それがなかった。
読んでいた漫画で俺を尊敬しろと言うセリフが出てきて笑った。このメッセージは嘘だ式のパラドクス。