表現の自由と赤飯

戦前の漫画家のインタビューの本を読んでいて、多くの人がカントに言及していて不思議に思ったことがあった。考えると昔の現代思想なので読んでいて当たり前で、今の漫画家と比べて教養がどうこういうわけじゃないんだろう。あの悪の権化扱いされる新聞社の社主もなぜかカントの道徳について語るのを好んでいた。
はっきりと芸術と倫理を別のものとして扱う傾向は、エログロナンセンスの理論的擁護にもなっただろうし、今にも受け継がれている。
ゾーニングとレイティングで十分で内容に文句は言わせないという今の規制反対派も言うまでもなくこれを前提にしているだろう。
そして三批判が統合出来ないように、反対派と規制派も相入れることは多分ないんだろう。げんなりする。
有害な情報を何も知らないで育って、大学で習うんだろうか。このようなところに来る皆さんは知らないと思いますけど世の中には同性愛と言うのがあって、と半世紀前東大に入った橋本治は授業で教わったそうだが、私もそんな前振りを大学の授業で聞いた。皆さんは知らない事になってはいますが同性愛というものが世の中にはあって、うんぬん。
最近ずっとものすごくかみ合わない規制反対賛成両者の議論を追っていて、戦前には表現の自由がどんな風に負けて、戦争になっていったのか、関連する本を読みたくなった。知ったところで役には立たないかもしれないが。
そういえば純粋理性批判を数年かかって読んで、理解出来た日にお祝いに嫁が赤飯を炊いてくれたという哲学者は誰だっただろうか。