折ったフラグの不可知性

折ったフラグは実は不可知なんじゃないだろうか。
「終電、無くなっちゃったね」
「待って、諦めるのは速いよ。今から山手線で〜以下略〜」
という風に、男女の恋愛の成就につながる過程をぶち壊す事を一般にフラグを折ると言う。逆はフラグを立てる。
あれってひょっとしてフラグだったのでは、とか思えば誰にでもそんな経験はあるだろう。
明確に付き合ってくださいと頼まれて断った場合でさえ、その選択をした、あるいはしなかったことによって、選択肢の片方側しか見ることが出来ない。なのである蓋然性や確率でしか折ったフラグを見ることは出来ないんじゃないだろうか。
フラグを考えたときに私たちは一人称から三人称へ視点が移動している。
すでに起こったことに対してはいくらでもフラグという可能世界への分岐をつけられるが、今、や未来にはおいては難しい。
フラグを含むゲーム的世界観、時空観は意外と浸透している気がする。
人生はリセットは出来ないとは言うが、人間関係ならある程度断ち切れるし。