針女を読んだ

思うに敗戦のインパクトと戦後民主主義の正しさ、(軍部の悪さ)というのは深く結びついていて、パールハーバーを見て感動したと平気で言う人に対してはもう無効になっている。当事者意識まで吹き替え可能なのだ。身分が違うというような公的な発言に何の批判もない。

針女を読んだ。最後に弘一はきけわだつみのこえを読んでいた清子を蹴る。お前に何が分かる、と。
蹴るくらい元気になったんだからきっと大丈夫だ、と思うところで小説は終わる。
戦争を何とか無事に乗り越えたと思ったら人が狂っていく。弘一が五体満足で帰ってきた、とはいえ心は傷ついている。
私的な黒歴史ノート「青年の死」と販売されるわだつみのこえ、壮行会と壮行会なしの入隊。弘一が腹をたてるのは自分のことが一般的に捉えられてしまうことなのかも知れない。国家に対しても認識が違う。
お前におれの(おれたちの)何が分かる、と思えるようになった。戦死した学生に成り代わって。もうすべてが無関係ではない。
それはお前にだけはおれを分かって欲しい、という思いの裏返しだ。