かっこいいおれ

中二的な物事について考えていた。かっこよさと距離について。
過去や外国などにかっこいいものがあると思い込む場合には、むしろ分からなさ、距離がその神秘性を支えている場合がある。文化研究がめったに今ここに追いつかないのも、近すぎると価値観が多様すぎてかっこ良さが分からないからかも。なぜそれがかっこいいことになっているのかに、根拠がない。流行っているから流行っている、大勢がそう振舞っているからそういう事になっている、という程度の自家撞着。
中二のかっこ良さには距離がない。かっこいいものが好きなおれはかっこいい。暴走族ポエムの伝統と同じだ。モテると思ってギターを始めるあれだ。
それは未来において結実する。
すごく中二な人を見ていてそんなことを思った。