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芸術はディシプリン(訓練)なので、私たちも町なかに裸の女の人の像があっても破廉恥ザマスとかえろーいとは思わないで、ああ、芸術なんだろうな、と思うように小中の学校教育などで訓練されている。
そしてカテゴリーなので、芸術として観る、という態度、物の見方は、程度の差はあれ誰にもある。その見方で通常では許されないことが許されることもある。
最先端の領域は専門家以外には分かりにくいので、解説や紹介を必要とする。現代数学のように。
アートが極端に分かりにくくなるのはたぶん美術館に便器を飾ってからだと思う。昔京都近代美術館で見た。
オタク系のアートがよく分からないのは私がオタクだからだと思う。母語なので翻訳が気になるのだ。
他者の作品を素材にし、その素材から作品を作る、それ自体は別にどうということもない。よくある手法でどうとも思っていない。(今問題になっている権利とは別の話だ)
私が気になるのは作品を素材にしている部分、元ネタが分かりすぎるところだ。美術として観るには現象学的還元がいる。人の死体を肉と思い込もうとするような。血で書かれた絵をただの絵として見るような。
アート好きが評価するのは素材を作品にしているところで、元ネタはどうでもいい。
惑星ソラリスで日本人の観客が、未来都市をイメージした首都高やエキゾチックさのためのお経が気になるようなものだ。
前に私が書いた、漫画を破ってアートにするという部分での下品な想像を、本当にそう思っている人が多くて、あの文章を消したついでに書いてみた。

ピクシブで、現代アートというタグで、彼らの作品を逆に素材にした作品がいくつも上げられている。
見ていて面白い。