コミュ力

ごんぎつねの解釈がいろいろあって面白かった。ごんは正直に謝罪すべきだったという理想論がおかしいのはノンバーバルコミュニケーションしかできない人-動物間関係を無視しているからだ。あのような形でしかコミュニケーションをはかれないという前提はまず受け入れるべきだ。
リアリティの水準を恣意的に解釈して難癖をつける人は多い。だけどそこらへんはたまに気にはなる。去年の黒森峰戦での西住殿の判断は正しかったのかどうかもそうだ。戦車道は安全、とはいいながら、水没する戦車からの脱出は危険には違いない。水圧でハッチが開かなくなるだろうし、浸水もするだろう。彼女が助けなくても確実に助かるものだったのかどうかは分からないし、曖昧なままだ。曖昧でなければならない。母と姉と意見が違わなければならないからだ。
あれは何に相当するのだろう。フィールドで倒れた選手に駆け寄り失点されたサッカー選手のようなものだろうか。
そして優勝することにも疑問を呈する人もいる。スレではもう議論が終わったんでとそれをいいだすと問答無用で荒らし扱いにされているが、全話完結してちょっと経ってからスレを見だしたのでどんな議論があったのかはよく分からない。ただ双方気持ちはわかる。
ラストイニングでも勝ち進めば進むほどねえよって感じが強くなる。どこら辺なら調度良かったんだろう。