レールガンの6話を見た

レールガンの6話を見たんだけど、二期でも日常パートがアニメオリジナルで入れられることが一部で不評で、切り捨てて原作に近づけろと言われている。
私はあそこが面白くて好きだ。あの落差が大きくて、対照的で。元々原作は異能バトルに意識が向くとそれ以外はほとんど無視される。美琴がそういうキャラだし、一期からそうだった。無意識が生み出したバケモノを殺すとき申し訳ないなんて一切思わない人だ。
でもアニメではそれが劣等感やなんやかんやのものだと気づいて、描かれて、分かって消す。悪の科学者のやってる悪いことを糺す、のではなく、妹達を人間じゃないと見るか、人間と見るかは多くの判断同様にさじ加減ひとつだということに気づく。変性した意識に慣れきってしまうとそれ自体に気づけない。
私たちは100円の唐揚げを買うときに鶏を殺す行為を数十円でアウトソーシングしていることを、意識したりしない。
無人機を遠隔操作して人を殺すのは、楽かと思ったら実際砂漠で戦うより精神的にキツイらしい。見知らぬ地球の裏で人を殺し、帰宅して家族と温かい食事をとると、気持ちの切り替えが難しいらしい。砂漠で寝て弾の下をくぐり非日常という日常にいつづけたほうが何も考えなくていい。
凄惨な現場からぬるい日常にもどり、みんなのこと見えているから、という。複数の意識を切り分け、使いこなすのはきついはずだ。
見えている、というのは一期のいま、あなたの目には何が見えてますか?に呼応している。そういう面倒くさいことをアニメではわざわざやる。
で、一人で戦って頼りにしてもらえない黒子のストレスも次の話につながるはずなんだけどどうなるんだろう。一応見てはいるんだけど。
あと佐天さんの麻雀は弱そうだ。