怪談に出てくる人はみな健康

怪談に出てくる人はみな健康なことにふと違和感を持った。何か怪異を目撃するけどたまたまコンタクト無しで外出した時だった、というような話はない。
コンタクトを外して外出して昔見たことのある人を見て、家に帰ってからその人の顔だけはっきり見えていた事に気づいてぞっとするという話はあった。そうじゃなく、なにもかもぼんやりしているような。そのせいで細部がわからないような話。
体が悪くなる話はあるけどそれは怪異のせいで、まったく関係なく歯が痛いとかはない。話がぶれるから当たり前なんだけど。
同様に複雑な家庭環境や自分のせいで込み入った人間関係など、もない。怪異の結果や原因として不倫だの不幸な出来事があったりはしても、全く独立して再婚したお母さんが持ってた人形がどうこう、などはない。
怪談というフォーマットが強力にいろいろなもの、出来事を原因付け、因果付け、相関付けてしまう。解釈し、し過ぎてしまう。
またこのせいかはわからないけど成績は良かったのに大学に落ちて、等と言われてもやっぱり、と読者は思ってしまう。
怪談はお話ではなく解釈の傾向、共有される世界の見方、見え方なのかもしれない。
なので大抵の怪談は合理的だ。これがあったせいでこれが起き、親の因果が子に報い、うんぬん。
なかには何故そうなるのかわからない物事、起きるはずのないこと、理不尽なことが起きる場合もある。最後までわからないまま。そういう話もある。
でもあんまりそういう話は個人的に好きじゃない。わけが分からなすぎるのも嫌なものだ。