ルパンルパーン

ルパン対複製人間の話なんだけど、クローンの存在で自我が実存がどうのこうのっていうのは昔から、小学生の頃から不思議に思っていた。なんでそんなことが問題になりうるのか。

クローンの可能性があるというのは今まで知らなかったけど自分に一卵性の双子がいるって言うことと変わらない。遺伝的に同一な他人がいるだけで別に私がどうこうなるものでもない。後天的なものもあるし。で、仮に同じ記憶を持っていても(ゾンビ問題)別にどうでもいい。(ここでなぜか意見が割れるけどそれはおいておいて)なんでそれが夢を盗まれたことになるのか。

ルパンは夢を見ない、とはいいながら割と長く内面世界っぽいシーンはあったりする。あれはだれの夢なんだろう。

あれが仮にルパンの夢であるならば、世界そのものがルパンの夢で、ルパンは夢を見るというよりは夢を生きている。というよりこの映画が夢だ。彼のほうが神であり、独我論だ。そのオブジェクトレベルとメタレベルの混交、並置によって、それをマモーに知らされたことによってメタな視点を失うことが夢を盗まれたという意味なのかもしれない。

取り戻すのは夢、夢を見る余地、不可知な部分、限界で、死の可能性だ。最後乳首を押してミサイルが飛んでくるのはとてもいい。当時は核ミサイルによる全面戦争で世界の終わりがくるだろうと思われていた。

クローン技術を使って1万年生きているっていうところからなにか映画におけるクローン観というか科学観が違うのかもしれない。クローンが可能でも年齢の違う双子ができるだけだ。自我の移植が可能になっているとか、クローンによってテロメアを失うことなく遺伝子をコピーする不老不死技術が1万年前からあるとか、そういうもう一つ別のSF設定が必要になる。

あの映画は小学生の頃に見てもう何十年も見ていないのでもう一回みたい。