効率的な無駄

倍速で映画を見る効率的にオタクになりたい人の話で色々思った。前にも書いたんだけど書き換えられた聖書っていう本を読んでこれを最初に読んでいたら何冊も読まなくていい本があったっていうふうに思ったんだけど、先に読むってのは不可能だ。この間違った前提で考えられ、書かれた本には意味がないというのは後から分かる。

無駄だと分かるためには無駄が必要なんだけど、これらの本は最終的にこの本を読むと無価値だと分かると言ってわかった上で読むのも馬鹿らしい。

じゃあ最初から正解だけ効率的に知ったところでオタクの教養というのはそういうのではなく、最終的に無駄と知ることのための過程のような、そんな感じがする。オタクというのは教養というよりは体験というか、何の得にもならなくても研究し続けるような生き方。

オタクの定義でアマチュアの研究者といっていた人がいて、そんな気がする。別にキリスト者じゃないし研究者でもないけど。