感動市場

スポーツで感動をどうこう言うのは昔から不思議だった。スポーツと感動はあんまり関係ない。もともと観客が感動しようがなんだろうがやるものだろう。やってもやらなくてもいいものだろう。

選手に感動をありがとうとか言い出すのが昔からなんかいやで、でもそういうものらしい。その過剰な感動の強要が裏切られたとき、エラーをした甲子園球児が地元にいられなくなったり、金を期待されて取れなかった人が一生悔やんだりといういやなものもある。

五輪を私は見なくてもいいし見たくもないんだけど、実際数十年見てないんだけど、どうせ始まったら見たがるだろうとか言われるのがいやだ。自分のやってることがそんなに価値のあるものだと信じるのはいいことだけど、そうじゃない人もいるということへの想像力を持ってほしい。