撮り鉄とか

撮り鉄の人の自己評価の中で、もし自分たちが撮らなければ一般の人が未来にあのときの電車がどんなだったか知りたくなったとき写真が残っていないことになる、そうなってから後悔しても遅いんだぞ、という話があるんだけど、普通そんなこと気にしない。廃線になっても車両が変わっても単に交通の手段で別にあとから気になったりしない。

そして今は昔と比べてデジタル化の恩恵で写真の量が異常に多い。気になる人なら自分でも撮っている。気にならない人は一生気にならない。非撮り鉄の撮った電車の写真だって多い。

素人が写真を取らなくても多分必要な資料は残る。残らなければそれまでだろう。電車より残すべき資料はいろいろあるだろう。

自分がなにか重要なこと、価値のあることをやっているという感覚は無意味なほど錯覚しやすい。

といってもそうは思ってもらえないだろう。