ワープについて語るとき私たちのネグること

ワープを扱った作品を受け入れるときには観測について無視されることが多い。地球から百光年離れたところにワープして一瞬で行ったとする。そこから地球を望遠鏡で見ると、百年前の地球が見える。月まで一瞬で行って振り返ると、出発前の宇宙船が見える。
だがその事実はめったに書かれない。
今は地球から135億光年より先の宇宙はどうなっているかわからない。135億光年離れたところにワープで一瞬で行ったとすると、そこから135億光年分観測可能な宇宙がまた広がっているだろう。そこが宇宙の果てだと思うのはなんというか自己中心的というかセカチューというか。
光速という限界を受け入れたSFでは相対性理論のパラドクスを扱ったりする。
超光速ありパラドクスなし、もしくは
超光速なしパラドクスあり
の二種類が普通SFではある。レイア姫の証言が疑わしいから事件が観測できる時空に行ってみようなんてことにはならないし、デススターが壊れた瞬間に壊れたさまを見て喜ぶ現地人がいる。
それは超時空観測、超光速移動の順に技術が発展するだろうという現在の科学技術からの類推であって、情報を光速を超えて伝達は出来ないが実物なら可能というおかしな状態がひょっとしてこないとも限らない。電話より先にファクスが作られたように。
P.K.ディックのテレポートされざるものもそんな移動可能・観測不可能な設定の始まり方をしていたと思う。
そういう設定で作られたアニメをSFとしておかしいというとしあきの母がいたらしい。古いSFファンで、SF大会に行っていたけどヤマトブームで変なのが来るようになって行くのをやめたという。
現在の知見で将来が分かるなんてありえない。昔の学習漫画にはどうしてテレビ電話が実現不可能かを説明しているのがあった。
SFは広い心で読むものだ。