放射能その後に

予言の自己成就という術語があって、例えばある会社の株価が上がると信頼できる人が言って、それを信じた人が買おうとすると、実際に上がる。銀行が潰れるという噂が実際に潰しかけたこともあった。
今そんな事を言うべきじゃないとされていることがあって、それはなんとかは安全だ、もしくは危険だ、ということで、反発がものすごい。
自然科学の分野だけど観光産業や風評被害とも関係するからこの予言の自己成就と関係はしている。
発言を非難する側の、真実は置いておいてそんな事をそんな立場の人間が言うなという態度が、見ていてちょっと嫌だ。まるで自らも影響をあたえることを忘れているかのようで。正しく、善い立場と、間違っていてかつ道徳的に悪い立場があるかのようで。
かわいそうだからという理由でがん告知をしない国だから、情が理屈を押しつぶす。間違っていて、善い行いは怖い。
この時とばかり露悪趣味なのか悪いデータを嬉々として拡散する、科学的に正しく、道徳的に悪い行いをする人もいる。ただそれは彼/彼女の中では善い行いなのでややこしい。
事実を認識するレイヤと、認識したものを報道するレイヤに分裂があるのみならず、末端の視聴者のリスク評価もまちまちで、同じ国にいると思えないほどのんきな人も、神経質な人もいる。
まあ、強引に言えばいつものことと言えなくもない。湾岸戦争に日本は「参戦」しているんだ、と熱く語っていた意識の高い人もいたし、テロに対する戦争のころ防毒マスクを買っていた人もいた。
悪くなる/良くなる、危険/安全と言おうと言うまいと事実はどうにかなるんじゃないかと思う。言葉はもうほとんど関係ないんじゃないか。

私は震災の初期に少し期待していた。日本人の心性が変わるんじゃないか、と。これだけ連日死に向かい合えば、死生観も変わるんじゃないか、と。
しかし放射線のリスクの説明で自分が確率曲線の上の点に過ぎず、有限の時間を生きていることを実感するんじゃないかと思ったら、徹底して安全か危険かの二択を求め、誰かがだましていたと帰責したがる。
小林製薬放射能その後にが発売されるのを心待ちにする日常っぷり。全員永遠に生きる気満々でデマに右往左往。
変わるかもと思った私が甘かった。そういうものだし、私ももちろんそうなんだ。典型的な日本人だ。
全員自分も死ぬことを忘れすぎだ。東北にだけ与えられた試練じゃなく、いつかいずれ必ず死ぬ。
危険区域に住む人を狂人扱いする報道は間違っている。百五歳の自殺を悲劇扱いするのも間違っている。自分たちが死を怖れるがあまり死を怖れない人たちを狂人扱いするのは、間違っている。