学はないけど天才

父親と仲の悪い漫画家が、父と話した時間が生涯全部で三十分くらい、と言っていた。十秒の会話が百八十回ではなく、決定的に嫌いになった会話が一回、仲が悪くなる会話が数回、事務的な数秒の会話が百回、というような割り振りだろうか。
それはそれとして自分も家族と何時間会話した事になるのかフェルミ推定して、何時間ラジオを聞いていたのかと比較すると、どうもラジオを聞いていた時間の方が長い。実家から離れるとその差は開くばかり。テレビはもっと長いかも知れない。ただ今はもう見なくなって数年経つのでラジオがいずれ抜く、と思う。
昨日書いた田村ゆかりの名前がすぐに出なかった衝撃は、家族より長い間聞いていたことのあるかもしれない声を忘れた、という衝撃だ。私がヒヨドリなら母親と思い込むくらい聞いている。まあ、もっと聞いているラジオパーソナリティーもいるが。
盆と正月だけ帰り、家族と何分話し、私たちの余命が後どれくらいか、考えてみると考えたくもない。
ゆかり、学はないけど天才だから、と言っていた回を思い出して聞いてみた。とても暗い話をしている回だ。当時は初の武道館の前でナーバスになっているのかと、自分を鼓舞するために言っているのかと、思ったけど、今考えるとそうでもないかも知れない。春先、新生活を始める若人に何か言う時にこの人は大抵自分の暗かった過去を話す。そういう芸風だ。第262回。
よく考えると時間の長短はあんまり関係ない。ヒヨドリでもないし。