名状しがたい

ようやくpcでネットが見れるようになった。
同人誌を外で読むな論争を見ていて本質は嫉妬だと思いますと言っていた人を思い出した。
同人誌界隈やネットでコラ画像を作って遊んでいる掲示版は、隠れていたい、知られたくない。カオスラウンジや東浩紀にはそれが分からない。有名にしてやっているのになぜ怒っているんだ、と、何度説明しても本気で分かろうとしない。
彼らも有名になりたいワナビーで、既に成功したクリエイターである我々に嫉妬しているからアンチ活動をしているのだ、と解釈する。この誤解はいまも続いている。ずっと続くだろう。
ネタを外に持ち出すなというルールは、外で同人誌を読むなと同様、機能するかどうかも疑わしい同調圧力、形式に過ぎない。
ルールに従ってくれないお客さんが増えると困るという理由で、炎上さえ出来ない。
この話は騒動の初期にも書いた気がするが、未だに分かっていない人が大量に現れる。
そして同人誌を踏みつけ、破り、落書きを書き込むパフォーマンスを高く評価しそれを変えていないということは、意識的か無意識的かは分からないがやはりオタク文化をバカにして別の価値基準からは認められたいのだろう。
ビートルズは乞食だと言っていた評論家は死に、サブカルチャーはすべて素晴らしいと言っていた批評家も死んだ。もうサブカルを抑圧するものはない。無いからおかしいことになっている。オタクは自意識過剰に勝手に抑圧を感じていることになっている。
オタクアートやオタク評論がそれらを馬鹿にしながら寄生し搾取する。本当に気持ち悪い。
オタクは語ることが出来ないというのはこの件で法的な手段を取れないだけではなく、このように私が語っても私は掲示版を代表できず、私たちの本心はオタク評論家が恣意的に解釈し語るからだ。電車男程度のオタク観の批評家が。
スレにやってきたカオスラウンジ側の工作員にいつもお前らリア充爆発しろっていってるじゃんと言われたときにはどうしようかと思った。ここまで分かっていないのかと。ここまで無知なものが批評クラスタはてブでウィキペで語っているのか、と。
この言葉もどこにも届かない。