魂の電気

クローンと不老不死は別の技術だ。クローンを作れるようになっても元になった人の寿命が伸びるわけでもない。年齢の違う双子ができるようなもので、二人は他人だ。そこを同一視するには意識(と記憶)の移植という二重にも何重にも難しい問題が可能になっていると見なければならない。

ルパン対複製人間はフランケンシュタインの怪物に生命を、魂を与えた雷から始まる。電気さえ未知のものだったころの古風な様式だ。生命が電気で意識が電気信号に科学的に還元されるころのサイエンスフィクション。

マモーのクローンによる移植を考えるといくつもの疑問が出る。記憶を移し、意識を持った新しい人が完成したとして、かつ古いマモーがいても別にいいのでは。意識や自我が電気信号にすぎないならスワンプマンと何が違うのか。

そんな疑問をおいて映画は進む。ルパンは夢を見ない。大きな脳。おっぱいスイッチ、ルパン音頭。

あの大きな脳がマモーでマモーとして歩きまわっていたのは子機なんだろうか。本体があれなら秘匿し死守すべきで宇宙に飛ばす意味なくないか。

三波春夫の声でおれはルパンだぞと朗々と歌い上げられるとそういった疑問が雲散霧消する。