トロッコ問題と学園ソドムと選択の無さ

ロッコ問題の話で選ばないという答えをドヤ顔で言う人がいた。その話はもう終わっている。この人は何かしらでバズって金儲けしたいタイプの人で、(一億円と1リットルの水を選ぶ)まあそれは置いておいて、その選択肢はない。

学園ソドムというゲームで選択肢を選ばず時間切れになると何かを選んだことになる仕組みがあった。それ以降サクラ大戦でパクられたありふれたシステムだ。選ばないという選択肢はない。投資を(ギャンブルを)していないという人は日本円に全額投資して(賭けて)いる。選ばないということを選んでいるし、何もしないことも意志を持った行動だ。

さかのぼれば禅の考案でそういうのもあった。この棒が存在すると言うならお前を殴る。存在しないと言うならお前を殴る。何も答えなければお前を殴る。

この場合師匠から棒を取り上げるのが正解らしいが、それも修行の進み具合や師匠の判断や機嫌によっては棒を取り上げようとした弟子を容赦なく棒で殴るのだろう。

選ばないという超越的な立場は、教師ー生徒、師匠ー弟子といった非対称な関係で下のものが選べるものではない。

その点でサンデル教授も批判されていた。心理学の教室で、先生が生徒に答えを強要する暴力的な関係。サンデル教授がトロッコであり人殺しだと考えるとそんな思考実験意味ないのではと。

選ばないという第三の選択があるんですというのは問題を聞いてないアホだ。選ばなければ5人死ぬと言われている。