文明の進歩

ラジオをあんまり聞かなくなった。今どうしても聞きたいラジオというのはないかもしれない。惰性で聞いてるのはいくつかあるけど。いつか聞けるだろうという感覚があるのも原因だろう。
お金を払って聞くラジオもあるけど、どれくらい面白いんだろう。
昔は雑誌の文通欄で誰それが好きな人、文通しましょう、といってテレビ番組やラジオ番組を共有してたらしい。テープを郵送して。でもなんとかという番組を録画した人、友達になりましょう。と書いちゃだめだったんだろう、一応。
昨今の警察の頑張り方は文明を文通の時代まで戻らせたいんだろう。
本屋で八十年代のサブカルチャーを特集した本を見て、それが文物として大量に手に入るのはいいことだけど、体験者だけが特権的に語る何かまで奪われているようで複雑だった。また八十年代の翻訳者のエッセイで、今ならググればすむことで苦労してたり、文化の差異を利用した密輸のような、今なら通用しないことをやっていたりして、感慨深く思った。あのころ英語ができて本が出せる日本人は百人くらいしかいなかったんじゃないだろうか。素人が意見を表明する場もほとんどなく、どこかが炎上することもない。今以上にマスコミは世論を誘導しやすく、何かをもみ消しやすい。