生まれた日

歯が痛い。ご飯が食べられない。
カオスラウンジが盗用芸術という手法に異常に固執する理由は、ネットのアーキテクチャがそれを可能にしているということとは実はまったく関係なく、従来のネットコミュニティや同人業界に対する根深い敵意があるからではないだろうか。体力がない弱いコミュニティはいずれ潰れる、コミケはコソコソやっているからいつまでも続くわけがない、ゴメンねはないなど。何度も挑発し、侮辱し、徒に対立を煽っている。
普通に許可をとればいいだけなのに、頑なにそれを拒むのは同人作家に許可を取るのが自分たちに取って屈辱的だからかもしれない。
ただ単にめんどうくさいのかもしれないが。
多くの模倣者が彼らに追随し盗用し謝罪せず反省せず有罪になるまでセーフというチキンレースが日本中で常態化すれば、著作権法が制限されるか強化されるか、議論が前進するか後退するか分からない。分からないことはなるべくやめてほしい。

それとは関係ないがキメこなを権利者が二次創作として訴えるのはテセウスパラドックスのような問題を引き起こすと言っていた人がスレでいた。どこまで変えればこなたなのかという実験の結果出来たキャラを、こなたの権利を侵害しているとして訴えることは出来るのか。つまりキメこなは一次創作としても見れるかもしれない。
キメこなの誕生日に書いた日記では虚構のキャラに誕生日を設定すること自体に疑義を挟むやや皮肉な文章を書いてしまったが、どこを誕生とするかもキメこなにとっては大事なことだ。もし本気で争うなら。何がキメこなの本質なのか。
騒動後のスレの雑談のなかで、こなたの半分を池田華菜にしたらこな死ねさんは来るかな、と思って軽い気持ちで作ってみたんだ、こんなことになるなんて、と原作者は言っていた。

国家が他の国家に対して主権を主張するように、他者に奪われたあの日がキメこなの第二の誕生日といえるかも知れない。