暗い考え

ちょっと逆転した。
何か考えているとだんだん暗くなってしまう。
読んでいた推理小説に母校が出てなんとなく懐かしかった。
二十年後値段が上がってるからアートを買えというのは無理だと思う。新築マンションや南アランドドルに突っ込んだほうがいい。仮に買えたとして高くなるとしても何年もあんな気持ち悪い絵を所有し続けるのは気分が悪い。
誰かがアートのファンになるというのは普通作品を見て好きになってなるものだと思う。彼らのやってるのはルールブックだのスタジアムだのドラフトなどを見せてその競技のファンになれと言ってるようなものだ。人の感性を甘く見すぎている。
人には好みがある。そこに基盤を置かない理論は俗物的な価値に流れる。いくら儲かるだの誰それが評価してるだの。出羽の守だの。
村上隆が禁止されているのに写真をピクシブに上げ続けるのは、ナベツネが免許の書き換えで不正をやって目くそ鼻くそと言ってたのに似ている。
権力を振り回したいのかもしれない。こんなに渋の社長と仲がいいから俺だけは例外にしてもらえると癒着を誇りたいのかもしれない。それは俗物的な価値観だ。彼らの言うおフランスだの上流階級という言葉は高級ソープ嬢といった言葉を思い起こさせる。その全員羨ましがるに決まっているという心性が、根性が、性根が、いつまでも変わらない。他者を想像できない。
形式的なスノビズムとは実は形式的なスノビズムのことなんじゃないだろうか。最近ずっと考えている。ポストモダンなんてなかったんじゃないかと。